落書・2


「君が、彩姫《サイキ》……」
 その男は彩姫を見下ろしてたずねる。
 背が高い。年齢は二十代後半、もしかしたら三十を越えているかもしれない。体格はどちらかというと華奢なほう。布の服に、腰に剣を携えている。茶色の長い髪。わりと整った、見る者を安心させる、決して悪い印象を与えない顔立ち。
「ええ。そうよ」
 彩姫は男を見上げて答えた。
「そうか」
 男はふっと微笑んだ。自然な動作で、腰の剣をすらりと抜いた。
「おい」
 悠都が前に出る。李翠は彩姫をかばいながら後ろに下がる。悠都も剣を抜いた。
「何で剣を抜いた? どういうつもりだよ、お前」
「君は?」
「俺の名前は悠都」
「姫の騎士《ナイト》か」
「別に。でもやっぱり彩姫とは付き合い長《なげ》ーし、アイツが危険な目に遭うの見てらんねーんだよっ」
「良い答えだな」男は微笑んだ。
「悠都っ」たまらなくなって李翠は叫ぶ。
「え?」
「その人ヤバイ」
 李翠には感じられた。悠都の目の前で剣を抜き構えるでもなくただ剣を握っている男のおそろしさを。
「悠都、交代」
 李翠は悠都の隣に並び、悠都を彩姫のほうへ押しやった。
 李翠はあらためて男を見上げる。
「俺の名は李翠。李福の弟です」
「わざわざありがとう。でも悪いけど、」
「知ってましたね? 俺達三人のこと」
「ああ」男はうなずいた。
「それで彩姫を消せって指示されたんですね」
「まあ、仕事だからな」
「仕事って割り切って人消すのかよ!」李翠の後ろから悠都が叫ぶ。
 男は視線を悠都に向けた。
「悪ぃ李翠。俺やっぱ、こいつ許せねー」
 再び悠都と李翠の位置が入れ替わる。
「でも悠都、この人」
「わかってる。……もしかしたら強いかもしれねーな、俺より」
 やはり悠都も感じとっていたのだ。
「でも、だからこそ。今までと違った戦いになる。戦ってみたいんだ」
「悠都……」
 彩姫が小さくつぶやいた。
「大丈夫だよ、彩姫」
 李翠は安心させるようにその肩に手を置く。
「俺の目の前でみすみす悠都はやらせない」
 そう言って、小さく息を吸う。呼吸を整える。
「李翠、援護はいらねーからなっ」
「えっ」
 目を閉じて意識を集中させようとしていた李翠は驚いて顔を上げる。
「言っただろ、戦ってみたいって。ちゃんと感じたいんだ、この身で」
「悠都」
「そうすれば俺はもっと強くなれると思う。父親よりも」
 悠都の真剣なまなざし。
「わかった」
 李翠はうなずくしかなかった。
「悠都、無茶しないでね」
 彩姫が悠都の背中に声をかける。
 悠都は床を蹴って一気に間合いをつめた。右手に握った剣を振り下ろす。その大剣は悠都くらいの歳の少年が扱うには大きすぎる剣だった。しかし悠都は軽々と振り回すことができる。
 男は自分の細身の剣で悠都の攻撃を受け止めた。金属と金属が音を立てる。
「っ!」
 悠都は二撃目を加えることができなかった。反射的に後ろに跳び退《すさ》って間合いをあけていた。
 悠都は力で押すタイプだった。それなのに、自分より華奢な(背は高いが)男に細身の剣で軽々と受け止められた。
(どこを狙っても絶対に止められる)
 こんな気持ちは初めてだった。
「終わりか?」男が問いかけてくる。
「まさかもうばてたのか」
「まさかっ!」悠都は再び間合いを詰める。
 二人の剣が何度か鳴った。
「ちょっとあれってどうなの」彩姫は李翠に声をかける。
「悠都ってば、完全に見切られてる、って言わない?」
「多分そのとおり」李翠は苦笑しようとしたが上手くできなかった。
「そんな……。じゃあ悠都、勝算ゼロ?」
「そうでもないんじゃないかな」
「え」
「悠都の一撃は重いよ。受けてるだけでも相当体力が減っていく。……でもなんでアイツ攻撃してこないんだろう。悠都がばてるの待ってるのかな。だとしたらそれは読み間違いだと思う。多分、先に疲れが出てくるのはあの男のほう」
「そう」彩姫はほっとしたように息をついた。
「でもアイツの攻撃力が未知数なんだよな。悠都に受けきれるかどうか」
「おいっ」
 男と剣合わせながらいらいらと悠都は言った。
「なんで攻撃しねーんだよっ。ばてたのか、それとも怖じけづいたか?」
「バカ悠都」李翠はため息をついた。「挑発してどうするんだよ」
「お望みとあれば」
 男は悠都に剣を振り下ろす。悠都はそれを受け止める。軽々受け止めることができた。よし、と思った次の瞬間、別の角度から剣が襲いかかってくる。
 男の連続攻撃は流れるように早い。それでも悠都は全て受け止める。李翠も彩姫も二人の戦いを息を飲んで見守っていた。
 男の攻撃の一撃は軽いようで、しかし必殺の殺傷力が潜んでいるのが感じられる。
(一撃でも食らったら多分、終わる)
 李翠は今自分が何をすべきか迷っていた。後で悠都に何と言われようと、後悔だけはしたくない……
「驚いた……」
 いつの間にか見知らぬ少女が隣に立っていた。長く黒い髪を三つ編みにしている。きりっとした顔立ち。
「蓮《レン》と互角に戦える子がいたなんて」
「あなた、誰?」
 突然割り込んできた少女に彩姫は声をかけた。
「あたしの名前は琉蘭《リュウラン》」
 三つ編みの少女は答えた。
「あなたもあの人の仲間? あたしを消しに来たの?」
 彩姫は悠都と剣を合わせている青年を指して問う。
「まあね」と少女――琉蘭はうなずく。肯定しながら心ここにあらずといった感じで全くやる気が感じられない。
 会話はそれ以上続かず、三人は視線を少年と青年の動きに向けた。
「蓮はさ、めったに本気になってくれないんだよね」
 琉蘭がぽつりとつぶやいた。どこか寂しそうに。
「あんな蓮、初めて見た」